高野山と島津。(おまけ 歴史編)

…余りにも不真面目なネタばかり続いたので。
島津氏には関係ないですが、歴史に縁のある塔頭を幾つか紹介。

持明院(2004/12/14撮影)
浅井長政・お市の方夫妻のあの有名な肖像画を所蔵していることで知られています。


不動院(2004/12/14撮影)
※画像をクリックすると石碑の拡大画像が別ウィンドウで立ち上がります。
貴人の墓の多い高野山の中でも唯一の陵墓があるところです。
鳥羽天皇の皇后・美福門院の墓「高野山陵」があります。


鳥羽天皇の皇后・美福門院藤原得子(1117〜1160)は中宮・待賢門院藤原璋子(1101〜1145)から天皇の寵愛を奪い、権力を恣にした女性。「皇后」と名乗っているが実は皇后になったのは鳥羽天皇が上皇になった後のことであり、本来ならば法律違反であった。鳥羽天皇との間に産まれた皇子を天皇(近衛天皇)にし、娘・<目章>子内親王を「八条院」として皇室領のほとんどを相続させるなど大変な勢いがあった。が、近衛天皇は夭折、その翌年には夫・鳥羽天皇も亡くなり気落ちして、仏教−特に真言密教に傾倒するようになる。彼女の遺言で高野山に葬られたが、皇后が都から遠く離れた場所に葬られるのは異例の事態であった。

西門院(2005/11/10撮影)
高野山らしからぬ竜宮城のような、それとも茶席の網代門のような変わった門が特徴の西門院。
寺伝によると「後堀河天皇皇后・西中御門院の帰依により西門院を名乗った」と言うことだが、歴代天皇の后で「西中御門院」を名乗った女性は一人もおらず疑問が残る。ただ、後堀河天皇中宮・近衛長子はのちに後白河天皇皇女・上西門院の遺領を譲られている。
その後、安房の戦国大名・里見氏の帰依を受けた。

※写真の右側をクリックすると面白いことが起こります。

金剛峯寺
※写真をクリックすると詳細な説明が別ウィンドウで表示されます

現在では高野山の中の1伽藍の名称となっているが、そもそもは高野山一山の正式名称が「金剛峯寺」である。つまり「高野山金剛峯寺」というのが高野山全体の正式名称なのだ。
現在一般的に「金剛峯寺」と言われている物は豊臣秀吉が母・大政所(なか)の菩提寺として建てた青厳寺が元となっている。その後何回も火事に遭い、現在の建物は文久3年に再建された物。中の襖だけは持ち出せたらしく、狩野探幽一門が書いたという立派な襖がはめられている。
建物の形式は書院造り。入場料は¥500だがするっと3dayカード高野山1day切符を持っていると割引になる。また、別室でお茶とお煎餅(お坊さんのありがたーい話付き)の接待がある貴重な休憩施設でもある。

 壇上伽藍への道(じゃばら道)※クリックすると大きな写真が表示されます。

金剛峯寺の正門前から檀上伽藍の中心に向かって延びている遊歩道で「じゃばら道」と言われている。
長さは50m程度の短い物だが、高野山1の紅葉の名所である。


不動堂
※画像をクリックすると拡大画像が別ウィンドウで立ち上がります。
高野山の中で一番古い建築物であり、当然国宝である。
檀上伽藍の東塔前にある小さいお堂で、屋根の複雑な形状と、「源氏物語絵巻」に出てくるようなはね揚げの寝殿造りのような格子戸が特徴で、鳥羽天皇皇女・八条院の護願により建久8年(1197年)に建てられたとされている。建築形式からは鎌倉後期の建物ではないかとされる。



大名墓以外の奥の院

  
(左)中の橋付近 (中)安芸浅野家墓所(二番墓)近辺? (右)弘法大師廟前(御廟橋付近)
ちなみにこの御廟橋を渡る前とお参りを終えて渡り終えた後に廟に向かって一礼し般若心経の最初の一節を唱えるというのが慣わし。

市川団十郎の墓
中の橋のすぐたもとにあり、橋から見下ろすような形になる。


珍奇なお墓コレクション
※クリックすると拡大写真が表示されます。
  
(左)ロケット墓 新明和工業の物故者社員慰霊塔。奥の院前バス停からすぐの所にあるので非常に目立つ。
(中)福助墓 あの有名な靴下やさんの物故者社員+社長一族慰霊塔。わかりやすすぎ。
(右)某在日さん墓 実はお金持ちの在日さんとおぼしき巨大墓は高野山内にわんさかあるが、形式まで故国の土饅頭をまねたのはここだけ。余りにも大きいのでめちゃくちゃ目立つ。

  
(左)日産自動車墓 日産自動車の物故者社員慰霊塔。「いかにも」な銅像。ゴーンさん来たことあるかしらん?
(真ん中)UCC墓 缶コーヒーを発明したUCC社長一族の墓。墓でもコーヒーは欠かさず(階段の横に注目)
(右)北ボルネオ戦戦没者慰霊塔 墓自体は普通なのだが、日本、アメリカ、オーストラリアの国旗が常に掲げられているという珍しい物。旗は去年も今年も汚れなく、毎日国旗掲揚を欠かしてないと見た。

ちなみに高野山は戦没者や事故・事件の大量死者の慰霊碑が非常に多い。一番有名なのは一の橋を渡ってすぐの所にある鶴田浩二の墓と同期の桜の碑だが…これ、意外に綺麗に写らないんですよねえ(で、今回も写真無し)

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