島津安久女(島津忠友姉、町田忠林室)

生没年未詳

<略歴>
天文〜永禄頃の女性。町田分家の忠林に嫁ぎ一男を儲けるが、夫にも息子にも先立たれ、甥を養子として名跡を継がせたという。
ところが「町田氏正統系譜」町田忠房の項を見ると、忠林の養子となったのは町田忠房の四男で、しかも忠林の妻は赤塚光重女とある。町田忠林の婚姻関係のもつれから跡目争いがあったのか?とも推測できるが、詳細不明。
「諸氏系譜」では「島津忠友姉」と書かれる。父の島津安久は島津忠国(本宗家9代)の曾孫に当たる。また、「諸氏系譜」迫水氏及吉満氏に彼女の記載はない。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
天文12 1543 町田忠林の三男・忠次出産 「諸氏系譜」町田氏 忠次
永禄4
7月12日
1561 夫・忠林と息子・忠次が廻竹原山の戦いで戦死
忠次の享年・19歳
「諸氏系譜」町田氏 忠次
(年度不明) 弟・忠友の次男・島津忠兼を故夫・忠林の養子(息子・忠次の弟分)とし、町田久辰と名乗らせる 「諸氏系譜」町田氏 久辰

町田氏系図」管理者の町田氏提供の資料による。ちなみに島津安久→忠友の系統の子孫が迫水久常(1902〜1977)に当たる。御教示感謝します。

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