赤塚光重女(町田忠林後室)

生没年未詳

<略歴>
町田分家・町田忠林の後妻。町田本家・忠栄の四男である町田忠房は島津貴久の命により島津以久の後見となる代わりに忠林の遺領を拝領していたが、その縁で忠房次男・忠秀をかわいがり、島津義久に願い出て忠秀を忠林の養子としたという(「町田氏正統系譜」忠房)
ところが「諸氏系譜」町田氏忠林の項ではやや異なる話を書いており、忠林の妻「島津忠友の姉」なる女性が甥の久辰を養子とした話が出てくる。赤塚光重女と島津忠友姉の関係は判然としない。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父赤塚光重、母宇都宗辰女 「町田氏正統系譜」忠房
(年度不明) 島津忠将の家老であった町田忠林の後妻となる 「町田氏正統系譜」忠房
(年度不明
永禄4〜天正4)
1561〜1576 島津義久に町田忠房の次男・忠秀を養子に願い出て了承される 「町田氏正統系譜」忠房

赤塚氏は斉藤助宗の四男・斉藤宗景の後裔で、先祖が新田義貞に付いたために落ち延びて島津家に使えるようになったという。赤塚光重は島津忠良、島津貴久親子の家臣という(「本藩人物志」赤塚信濃守光重)。
母の出身・宇都宗辰の詳細不明。

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