島津忠倍女(島津久通室)
慶長11年(西暦)〜寛永17年(西暦)年6月20日<享年35歳>
<略歴>
宮之城島津家後継者だった島津忠倍の遺児。父・忠倍が慶長14年に祖父・忠長に先だって卒し、母・島津朝久女も早世したため、母方祖母の島津御屋地のはからいで従兄弟・島津久通と早くから婚約した。
久通との間には2男1女を儲けたが、寛永17年に長男の後を追うように早世した。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
慶長11 | 1606 | 1 | 誕生 父・島津忠倍 母・島津朝久女 | 「諸氏系譜」尚久 忠倍女 |
慶長14 5月18日 |
1609 | 4 | 父・忠倍死去(享年32歳) | 「諸氏系譜」尚久 忠倍 |
(年度不明) | 母・島津朝久女が死去(享年未詳) | 「旧記雑録」後編5−1062 | ||
元和5頃 | 1619 | 14 | 曾祖父・義弘の口添えで島津久通(島津久元長男)を許嫁とすることになる | 「旧記雑録」後編5−1062 |
寛永2 3月21日 |
1625 | 20 | 久通長男・鎌菊(久武)を生む | 「諸氏系譜」尚久 久武 |
(年度不明) | 久通長女(後 北郷久盛室)を生む | 「諸氏系譜」尚久 久通女 | ||
寛永12 11月28日 |
1635 | 30 | 久通次男・千菊(久竹)を生む | 「諸氏系譜」尚久 久竹 |
寛永16 12月2日 |
1639 | 34 | 長男・久武早世(享年16歳) | 「諸氏系譜」尚久 久武 |
寛永17 6月20日 |
1640 | 35 | 死去 法号「任性養運」 | 「諸氏系譜」尚久 忠倍女 |
<墓所>
・宗功寺(現 鹿児島県薩摩郡さつま町 宗功寺公園)