島津久意(実久)女(菱刈重猛室)
生没年未詳
<略歴>
薩州家・島津実久(久意)の長女で、薩摩北部の有力国人・菱刈重猛と結婚した。ちなみに夫の祖母(島津成久長女)は大伯母に当たる。
「菱刈文書」に5通の書状を残す「菱刈大貳」とは同一人物の可能性が高いが、後考を期す。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生 父・島津実久(久意) 母不明 | 「諸氏系譜」薩州用久 久意長女 | ||
(年度不明) | 菱刈大和守重猛に嫁ぐ | 「諸氏系譜」薩州用久 久意長女 | ||
永禄5※ | 1562 | 長男・鶴千代丸(後の菱刈重広)を産む | 「本藩人物志」菱刈重広 「菱刈文書」菱刈氏系図 重広 |
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永禄9 11月8日 |
1566 | 夫・重猛死去(享年35歳) | 「本藩人物志」国賊伝菱刈重猛 「菱刈文書」菱刈氏系図 重猛 |
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永禄12 1月20日 |
1569 | 菱刈氏、島津義久に降伏 本領数カ所を召し上げられた上、重広は祁答院に蟄居 |
「本藩人物志」菱刈重広 | |
天正2 | 1574 | 菱刈一族に謀反を起こす者が多いという理由で菱刈院本城・曽木の旧領から伊集院神殿に転封される | 「本藩人物志」菱刈重広 「菱刈文書」菱刈氏系図 重広 |
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慶長4 11月13日 |
1599 | 重広、庄内の乱の山田城攻撃に於いて戦死(享年38歳) | 「本藩人物志」菱刈重広 |
※「五歳の時に父を喪う」という記述より逆算。