菱刈大貳
生没年未詳
<略歴>
「菱刈文書」010−4〜6、010−8〜9の筆者。「菱刈文書」010の他の文書のうち010−1〜3と10に関しても仮名漢字交じり文であること、署名が「大貳(大二)」署名のある文書と同じ「ひしかり本しやう(ひしかり本城)」であることから大貳の書いた文書である可能性が高い。
ちなみに、上記の文書の内010−4,5,6が「丸田(圓田)平兵衛」宛、010−9が「丸田しきもし(式部?)」宛となっている。丸田氏で「平兵衛」を名乗った人物は不詳、「式部」を名乗った人物としては丸田常久(助三郎、式部少輔)と丸田鑑久(助三郎、式部)がいる。丸田常久と鑑久は親子。
010−8文中「又孫三郎か何事も物しらすに候ハんこと計おもひまいらせ候」010−9文中「孫三郎ハたたねくせあしく候てねひえかちに候」とあり、この”孫三郎”は菱刈重広の幼名と同じ事、”大貳”署名はない物の同一人の手紙とおぼしき010−3文中で「よしとら」と呼び捨てにしている人物が島津義虎を指すと思われることから見て、島津実久長女(菱刈重猛室)と同一人と思われ、『鹿児島県史料』「旧記雑録家分け7」前書き概説において五味克夫氏もそのように指摘されているが、なお後考を期す。
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年度 (西暦) |
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