佐多久光女(島津家久女中、民部卿)
生没年未詳
<略歴>
慶長〜寛永頃の女性。島津家久の奥女中として使えた。父・久光には彼女と他家に嫁いだ姉の二人の女子しかおらず、後に彼女は家久に訴え出て甥を養子として家を再興した。
「桃外院殿年譜雑伝」によれば、後に肝付兼屋の正室となった島津家久九女(米寿姫)の養育を行った女性という。島津家久九女は江戸生まれであったことから見て、おそらく江戸在住の女中だったと思われる。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生 父・佐多久光 母不明 | 「諸氏系譜」佐多氏 久光次女 | ||
(年度不明) | 島津家久の奥女中となる その後江戸へ下向か? |
「諸氏系譜」佐多氏 久光次女 | ||
寛永2 7月21日 |
1625 | 島津忠清女が島津家久の九女を生むが、日をおかずして死去 その後母親代わりとなって養育を勤める |
「桃外院殿年譜雑伝」寛永12年8月条 | |
(年度不明) | 甥・久逸(父・山口七郎左衛門、母・佐多久光長女)を養子として実家を再興する | 「諸氏系譜」佐多氏 久光次女 |