上井為秋女(吉利忠澄室)
生没年未詳
<略歴>
天正頃の女性。薩州家分家・吉利忠澄に嫁ぎ2男を生む。
実家の上井家は島津義久家老・上井覚兼を出し、吉利忠張の叔母は同じ島津義久家老の伊集院忠棟室だったが、文禄以降は上井家は零落、慶長7年には伊集院忠棟一族が壊滅したこともあり、晩年は厳しい物があったのではと推測される。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生 父・上井為秋、母未詳 | 「諸氏系譜」吉利氏 忠張 | ||
天正元 | 1573 | 吉利忠澄の長男・忠張を生む | 「諸氏系譜」吉利氏 忠張 | |
天正16 | 1588 | 忠澄次男・忠紹を生む | 「諸氏系譜」吉利氏 忠紹 | |
文禄4 8月4日 |
1595 | 夫・忠澄死去(享年47歳) | 「諸氏系譜」吉利氏 忠澄 | |
慶長4 3月 |
1599 | 庄内の乱勃発 長男・忠張、伊集院忠真から同心を持ちかけられるが断る |
「庄内軍記」 | |
寛永17 7月27日 |
1640 | 次男・忠紹死去(享年53歳) | 「諸氏系譜」吉利氏 忠紹 |