町田忠房女(伊集院久教室 後 川上忠實室)

生没年未詳

<略歴>
天正頃の女性。父町田忠房については垂水島津家家臣(「諸氏系譜」伊集院氏)とする説と島津久重の家臣(「諸氏系譜」川上氏)とする説がある。
最初、垂水島津家家臣であった伊集院久教に嫁ぎ2男を儲けた。その後、川上忠實の後妻となり三男の久直を産んだ。しかし、元和9年に夫・忠實は主君に当たる島津忠仍(=島津久信、島津新城子)によって誅殺されるが、久直は難を逃れ、母親の縁で島津久重の家臣となったという(「諸氏系譜」川上氏久直)。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・町田忠房 母不明 「諸氏系譜」伊集院氏 久乗
「諸氏系譜」川上氏 忠實、久直
(年度不明) 伊集院久教長男・久乗を産む 「諸氏系譜」伊集院氏 久乗
天正19
3月8日
1591 伊集院久教次男・忠光を産む 「諸氏系譜」伊集院氏 久教次男忠光
「諸氏系譜」伊集院氏 忠光
(年度不明) 伊集院久教と離婚? 「諸氏系譜」伊集院氏 久教
(年度不明) 川上忠實と再婚 「諸氏系譜」川上氏 忠實、久直
慶長7 1602 川上忠實の三男・久直を産む 「諸氏系譜」川上氏 忠實、久直
元和9
6月3日
1623 夫・忠實が島津忠仍の不興を買い誅殺される 「諸氏系譜」川上氏 忠實
寛永17
11月19日
1640 次男・忠光死去(享年50) 「諸氏系譜」伊集院氏 忠光
慶安3
6月17日
1650 長男・久乗死去(享年未詳) 「諸氏系譜」伊集院氏 久乗

島津久重の詳細不詳。同時代に同名の人物が見あたらない。他の人物と混同されたものか、後考を期す。

伊集院氏庶流伊集院権之助忠光一流系図 では忠光の母は不詳となっている。

伊集院久教は忠光の下に娘2人を儲けているが、母は「妾」となっている。この点から伊集院久教と町田忠房女は死別ではなく離婚ではないかと推測した。

表紙に戻る 人名索引へ戻る 人名索引「ま」に戻る