肝付良兼女(伊地知重政室)

生年未詳〜慶長4(1599)年3月3日<享年不明>

<略歴>
肝付良兼の長女。同じ大隅の有力国人である伊地知重政に嫁ぎ、重順を産んだ。伊地知氏に嫁いだのは当時敵対していた島津氏に対して婚姻で結束を固める目的があったのも確かなようだが、それよりも重政には身体障がいがあり、一方、良兼長女にも聴覚障がいがあり、障がいを持った者同志のほうが結婚がうまく行く、と言う周囲の思惑があったようである。(「本藩人物志」伊地知重政)
彼女の出生には「子ナキ故ニ蜜水牧観音ニ祷ル九百日満願ノ日仏前ニ木葉二ツ香〆交ル女異之持帰テ娘アリト云」(「本藩人物志」伊地知重政)という霊異譚が伝わっている。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・肝付良兼 母・伊東義祐長女(高城 「旧記雑録」家分け1肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」16
(年度不明) 伊地知重興の嫡男・重政に嫁ぐ 「旧記雑録」家分け1肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」16
「本藩人物志」伊地知重政
元亀元
2月6日
1570 重昌の嫡子・虎太郎(後の伊地知重順)を産む 「旧記雑録」家分け1肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」16
元亀元
3月6日
「本藩人物志」伊地知重政
(年度不明) 夫・重政出家して「芦津」と名乗る
障害者故に年若くして出家したという
「本藩人物志」伊地知重政
文禄3 1594 伊地知重順が領地を失い、夫・芦津と共に桂迫へ移る 「旧記雑録」家分け1肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」16
慶長4
3月3日
1599 死去 法号「冠室芳玉大姉」 「旧記雑録」家分け1肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」16
(年度不明) 伊地知重順が倉岡地頭となり、倉岡の竜泉寺に改葬される 「旧記雑録」家分け1肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」16
元和4
3月6日
1618 夫・重政死去<享年69歳>
倉岡竜泉寺に葬られる
「本藩人物志」伊地知重政
寛永19
10月22日
1642 息子の伊地知重順、倉岡で死去<享年73歳> 「本藩人物志」伊地知重政

「旧記雑録」家分け1肝付氏「新編伴姓肝属氏系譜」16 では「伊地知重昌」となっている。

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