肝付兼興女(島津貴久先室)

生没年未詳<享年20歳>

<略歴>
大隅の戦国大名・肝付兼興の次女。薩摩の大名・島津貴久の元に嫁ぐが20歳で早世。貴久との間に子供はいなかった模様。
彼女の兄・肝付兼続は妻に貴久の姉・御南を向かえており、貴久と兼興女の結婚は薩隅の結束を結ぶための政略結婚だったと考えられる。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生。父・肝付兼興、母・島津久盈女(島津忠朝養女) 「旧記雑録」家分け2 肝付氏系図文書写
「旧記雑録」家分け2 新編伴姓肝属氏系譜
(年度不明) 島津貴久と結婚 「旧記雑録」家分け2 肝付氏系図文書写
「旧記雑録」家分け2 新編伴姓肝属氏系譜
(年度不明、
天文元年以前)

1532
20 夭折 「旧記雑録」家分け2 肝付氏系図文書写
結婚後程なくして早世したという 「旧記雑録」家分け2 新編伴姓肝属氏系譜
法号「花室清忻大姉」? 「伊集院由緒記」

<墓所>
・破鞋庵跡(鹿児島県伊集院町)
※「伊集院由緒記」(『鹿児島県史料拾遺』15所収)によると、破鞋庵なる寺院に「大中様先室花室清忻大姉」という位牌と「花室清忻大姉」銘の入った石塔が残っているという。但し、これについては同じ「伊集院由緒記」で異伝も伝えられている。拙別館のこの記事も参照されたい。

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