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肥知岡氏女(肘岡氏女、橋姫、少納言、島津貴久側室)

生没年未詳

<略歴>
島津貴久の側室。貴久の四男で猛将の誉れ高い家久を産んだ。「橋姫」「少納言」という尊称が伝わっている(「島津氏正統系図」家久など)が、後述するように実はそんなに身分の高い一族の出身ではなかったようだ。
「御家譜」(16代義久公)の張紙注記によると、彼女は実は本田丹後守親安なる武将の娘だったが、父が戦死し、母の実家で育ったために「肥知岡氏」を称するようになったという。
貴久の死後は実子・家久の元で暮らしたらしく、家久が上洛するときに家久室・樺山善久女らと共に見送りに出ている。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生。父・本田親安、母・肥知岡左衛門女 「御家譜」16代義久張紙
(年度不明) 父・本田親安が戦死、母と共に叔父の肥知岡佐兵衛頼明の元に身を寄せる 「御家譜」16代義久張紙
(年度不明
天文13年以降?)
1544〜 島津貴久の側仕えとなる 「御家譜」16代義久張紙
天文16 1547 貴久の四男・家久を出産 「島津氏正統系図」家久
「本藩人物志」島津家久
天正3
2月
1575 家久が上洛
串木野で家久室、家久の子供らと共に見送る
「家久君上京日記」
(年度不明) 死去。法号「縁室如従大姉」 島津家久母墓石(佐土原島津家墓所所在)

本田氏は薩摩・大隅の有力な国人。北郷氏や伊東氏とも血縁関係を結び勢力を誇ったが、後に島津氏に圧されその配下となっている。
肥知岡氏は「肘岡」とも表記される。「御家譜」16代義久張紙によると「(肥知岡)佐兵衛九代之孫相良伊平次候事〜」とあり、肥後の戦国大名・相良氏の一族であったらしい。
「本藩人物志」島津家久の項には「母ハ肬岡左兵衛頼明姪也実母ハ本田丹後守親康女」とある。
「本藩人物志」島津忠直の項目の末尾には島津豊久家老の一人として「新田地頭 肘岡豊前兵衛」成る人物が挙げられており、肥知岡頼明の子孫は血縁関係から家久・豊久親子に仕えたと思われる。

<墓所>
・天昌寺跡(宮崎県佐土原町)

天昌寺跡の肥知岡氏女の墓については「日向佐土原二万九千石」様の紹介を参照させていただきました。ありがとうございました<(_ _)>

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