高野山と島津。(吉川氏墓所)

中国地方の戦国大名・毛利元就の次男であった吉川元春で有名な吉川氏の墓所です。
ここに葬られているのは関ヶ原の合戦以後、本家・毛利氏に従い岩国に逼塞した後の御当主のようです。
 吉川氏墓所(2005/11/10撮影)
場所は伊達政宗廟の近くにあります。参道からは奥まった場所にありますが、看板がありますのでわかりやすいです。


関ヶ原の合戦の時、毛利家は西軍に付いたが、その配下の吉川広家は東軍よりであり、毛利軍が東軍に攻撃をしないように画策し、また万が一東軍が勝ったときにも毛利家が減封されないように徳川家康から誓詞を取るなどの行動をとった。しかし、関ヶ原の合戦後に毛利家は100万石から長州・周防2カ国30万石に大減封され、その結果吉川広家に対する批判が起こり、吉川氏は幕末に至るまで冷遇されたらしい…。

しかし、墓は本家に負けないほど立派です。…と言うか面当て?(^^;)

表紙へ戻る 関西の島津氏史跡目次へ戻る 高野山と島津。目次へ戻る