高野山と島津。(井伊氏墓所)

彦根藩井伊氏の発祥は鎌倉幕府の御家人に始まりますが、藩祖・井伊直政は「徳川四天王」の一人として知られ、関ヶ原合戦後には島津氏との折衝に活躍した人物である。しかし、直政自身はその関ヶ原の合戦で島津氏の兵におわされた鉄砲傷が原因で慶長7年に死去。
最も有名な藩主は幕末の大老となった井伊直弼だろう。井伊直弼は14代将軍に紀州藩主の徳川慶富(後の家茂)を押し、一橋家当主の慶喜を押す島津斉彬、水戸藩主の徳川斉昭らと激しく対立したのだった…。

その井伊氏の墓所は奥の院参道の中程、島津家四番墓の近くの高台にある。
 井伊掃部頭廟
奥の院参道に存在する屋形作りの墓は、この他には上杉謙信廟、佐竹義重廟、結城秀康廟(石造)ぐらいしかないと思う。
譜代筆頭にふさわしい、奥の院屈指の立派なお墓である。

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