大野久重女(村田経昌室)

生没年未詳

<略歴>
天正〜慶長頃の女性か。島津氏家臣・村田経昌の妻となった。

父・大野久重(天正9(1582)年−正保4(1647)年10月13日)は大野家初代資久の孫(大野資久−忠康(次男)−久重)で綾(現在の宮崎県綾町)地頭→甑島地頭を務め甑島で亡くなった人物。関ヶ原の合戦では島津義弘に同行し鉄砲を駆使して貢献し、墓も甑島ではなく義弘菩提寺の妙円寺に築かれる(「本藩人物志」大野正右衛門久重)など、義弘に近い人物であったと思われる。

夫・村田経昌は村田経信(経宣)の息子で末吉地頭を務め、朝鮮出兵にも供奉した(「本藩人物志」村田三郎右衛門経昌)が、それ以外の事績は明らかではない。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明
天正14〜)
誕生 父・大野久重 母不明 「諸氏系譜」大野氏 久重女
(年度不明) 村田三郎右衛門経昌に嫁ぐ 「諸氏系譜」大野氏 久重女

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