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野間氏女(島津運久(忠幸)側室、菴室)

生没年未詳

<略歴>
大永頃の人物。「島津氏正統系図」「寛永諸氏系譜」など島津家側の公式史料には全く記載されていない。
「旧記雑録」前編2−1962によると「野間氏伝に云、野間氏の女一瓢(=島津運久)に仕ふ(中略)男子を産む、即一瓢の子也、童坊と成て為阿弥と称す、後ニ母の性を冒し名を賜って野間喜庵という(以下略)」とある。おそらく、彼は既に島津運久の後継者に島津忠良が決定した後に生まれたために、僧侶となり、更に島津姓を名乗ることも許されなかったのでは無かろうか。また、運久実子という血統を持っていたが為に、その後島津家側の史料からは消されてしまったのではないかと思われる。
野間氏は元々畿内の住人だったが、後に薩摩川内高江(現 鹿児島県薩摩川内市高江)に移住。しかし、出水(現 鹿児島県出水市)からの賊に一族惨殺され、一人生き残った娘が人身売買の果てに島津運久の元に使えて側室となり、「菴室(あせき)」と名前を給わったという。(「本藩人物志」野間喜庵忠政)


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 川内高江の住居を賊に襲われ、一人だけ生き残る
その後、その賊に人身売買される
「本藩人物志」野間喜庵忠政
(年度不明) 13 伊作に移る 「本藩人物志」野間喜庵忠政
(年度不明) 島津運久に仕え「菴室」と名乗る 「本藩人物志」野間喜庵忠政
(年度不明) 運久の子・犬太郎(後 為阿弥→野間喜庵)を産む 「旧記雑録」前2−1962
「本藩人物志」野間喜庵忠政

この賊について「旧記雑録」前編、「本藩人物志」では「出水よりの」としか書かれていないが、「諸家大概」源姓野間氏の項では「薩州家」と明言されている。

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