新納忠友女(富山大蔵房室)
生没年未詳
<略歴>
天正頃の女性。
実家は新納分家の流れ。新納家が天文7年に没落した後、兄・忠氏は妻の縁で肝付兼続に仕えた。ところが天正4年10月1日の飫肥南郷の戦いで兄・忠氏、忠盈は戦死。そのため彼女と富山大蔵房の長男・忠成が慶長になってから志布志大慈寺住職・龍雲和尚らの尽力により伯父・忠盈の跡を継いだ。
夫・富山大蔵房は「大姶良総職」という。長男・忠成は当初伊集院忠棟に仕えていたが庄内の乱の後3年余り浪人し、後に垂水島津家・島津忠仍(久信)の家臣となった。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生 父・新納忠友 母未詳 | 「諸氏系譜」新納氏 忠友女 | ||
(年度不明) | 大姶良総職・富山大蔵房に嫁ぐ | 「諸氏系譜」新納氏 忠友女 | ||
永禄8 | 1565 | 長男・忠成(後 「新納」に改姓)を産む | 「諸氏系譜」新納氏 忠成 | |
慶安5 6月25日 |
1652 | 長男・新納忠成死去(享年78歳) | 「諸氏系譜」新納氏 忠成 |