三島清眞女(川上忠豊室)

生没年未詳

<略歴>
国分(現鹿児島県国分市)の侍だった三島九郎左衛門清眞の娘で、川上氏分家の忠豊に嫁ぎ久清を産んだ。しかし、夫は慶長19年に31歳で早世、更に義理の祖父である忠實が元和9年6月3日に彰久の遺児・忠仍との不和から一族郎党誅殺され領地を失った。その後の消息が不分明になるが、寛永12年1月5日に罪が晴れたらしく、息子久清が350石を新たにもらって垂水島津家の家臣として復活した。
実家の三島家、及び父・三島清眞の詳細不明。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
慶長12
5月21日
1607 川上忠豊の長男・久清を出産 「諸氏系譜」川上氏 久清
慶長19
5月15日
1614 夫・忠豊死去(享年31歳) 「諸氏系譜」川上氏 忠豊
元和9
6月3日
1623 舅・忠實が島津忠仍の不興を買い、一族誅殺される 「諸氏系譜」川上氏 忠實、忠利
寛永12
1月5日
1635 新恩地350石を島津久慶、川上久国、伊勢貞昌に依って下知され、お家再興成る 「諸氏系譜」川上氏 久清

表紙に戻る 人名索引へ戻る 人名索引「み」に戻る