合志伊勢守女(新納忠秀室)
生没年未詳
<略歴>
天正〜慶長頃の女性か。新納分家・忠秀に嫁ぎ3男を儲けた。
新納忠秀は新納忠貞の跡を継いだが実子ではなく、実は新納康久の末息子。新納忠元配下で肥後攻め、豊後攻めに活躍した武将。長男・兼康は後に肝付本宗家を継いだり、次男・久親は新城島津家当主・島津久章謀殺に関わるなど重要な役割を果たしている。
実家の合志氏は肥後国の有力国人であったが、龍造寺氏と島津氏の間に挟まり、結果進退窮まって滅亡している。なお、彼女はこの時に新納忠秀によって強奪された人物なのだという(「本藩人物誌」新納久親)。
父・合志伊勢守は年代的に合志親為或いはその息子の合志隆重(高重)か。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生 父・合志伊勢守某 母不明 | 「諸氏系譜」新納氏 兼康 | ||
文禄4 2月6日 |
1595 | 忠秀長男・甚作(後 肝付兼康)を生む | 「諸氏系譜」新納氏 兼康 「肝属氏系図文書写」 |
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慶長8年 | 1603 | 忠秀次男・久親を生む | 「本藩人物誌」新納久親 | |
慶長9年 | 1604 | 「諸氏系譜」新納氏 久親 | ||
(年度不明) | 忠秀三男・弥五郎(後早世)を生む | 「諸氏系譜」新納氏 弥五郎 | ||
正保元 12月24日 |
1644 | 次男・久親、島津久章誅殺の際におった傷が原因で死去(享年41歳) | 「諸氏系譜」新納氏 久親 | |
寛文11 4月28日 |
1671 | 長男・肝付兼康死去(享年77歳) | 「肝属氏系図文書写」 |
※合志氏については播磨屋 戦国大名家一覧「合志氏」を参照しました。ありがとうございました。