肝付兼盛女(新納忠光室)
生没年未詳
<略歴>
文禄頃の女性か。加治木肝付家の兼盛の娘で、新納忠元の孫に当たる忠光に嫁いで2女を儲けた。その後夫・忠光が早世したため、長女に一族から忠清(新納忠元孫)を婿養子とし、名跡を嗣がせた。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 誕生 父・肝付兼盛 母不明※ | 「肝付家文書」伴姓統譜 「諸氏系譜」新納氏 忠光長女※ |
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(年度不明) | 忠光長女(後 新納忠清室)を生む | 「諸氏系譜」新納氏 忠光長女 | ||
(年度不明) | 忠光次女(後 桂忠能室)を生む | 「諸氏系譜」新納氏 忠光次女 | ||
慶長8 8月25日 |
1603 | 夫・忠光死去(享年未詳) | 「諸氏系譜」新納氏 忠光 | |
承応3 10月3日 |
1654 | 長女(新納忠清室)死去(享年未詳) | 「諸氏系譜」新納氏 忠光長女 |
※肝付氏側史料、新納氏側史料にも母親の記載はなく不詳であるが、菱刈氏側史料(08−12「当家諸書付」”菱刈某差出系図写”)に「(菱刈重根)女子 肝付弾正忠兼盛室 越前守兼等之母也」とあることから、菱刈重根女が母親の可能性が高いと思われる。
※「諸氏系譜」新納氏では「肝付兼寛女」とするが、肝付氏側史料ではどの系図にも兼寛の子供の記載が無く、兼寛は子供に恵まれなかったとする(「肝付世譜雑録」など)ため、「諸氏系譜」新納氏の記入のほうが間違いと思われる。