某女(川上義久女?川上昌久室、川上久隅母)
生没年未詳
<略歴>
島津勝久の家老であった川上昌久の正室。天文三年に昌久は主君である勝久に諫言を言ったことにより逆恨みされて大興寺の裏手で自殺に追い込まれた。勝久は更に昌久の居城である川上城を攻めたが、昌久室は幼い久隅を擁してこれをよく防御し、勝久を撃退した。これが後に島津忠良に賞されて旧領を安堵されたという。
ちなみに「諸氏系譜」川上氏の義久の項に「女子 川上大和守昌久室」とあり、これが久隅の母ではないかと思われるが、久隅の項目に母の出身が明記されていないため判断を保留する。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
(年度不明) | 川上昌久と結婚 | 「諸氏系譜」川上氏 久隅 | ||
天文元 | 1532 | 長男・久隅を産む | 「諸氏系譜」川上氏 久隅 | |
天文3 4月3日 |
1534 | 夫・昌久が島津勝久の勘気により鹿児島の大興寺の裏手で自害(享年不明) | 「諸氏系譜」川上氏 昌久 | |
天文3 | 島津勝久が川上城を攻めるが、家臣と共に籠城し勝久を撃退 | 「諸氏系譜」川上氏 久隅 |