川上久政女(川上久通室、御やち)

生没年未詳

<略歴>
川上氏分家の久政の娘で、川上氏本家の久通に嫁ぎ久貞、久次、忠助を産んだ。
ところが久通は慶長3年に朝鮮出兵の最中その地で客死、しかも義兄の久利が朝鮮出兵、庄内の乱へのサボタージュを行ったことからお家騒動が起こり、舅・久隅によって久貞が正統な跡継ぎとされた。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・川上久政、母未詳(川上忠政女?) 「諸氏系譜」川上氏 久政長女
(年度不明) 川上久通に嫁ぐ 「諸氏系譜」川上氏 久政長女
文禄元 1592 長男・久貞を出産 「諸氏系譜」川上氏 久貞
文禄3 1594 次男・久次(後 伊集院忠次養子・忠助)を出産 「諸氏系譜」川上氏 久次
「諸氏系譜」伊集院氏 忠助(伊集院伊予守忠安一流系図)
(年度不明) 三男・忠助(後伊集院半五郎養子)を出産 「諸氏系譜」川上氏 忠助
慶長3
2月28日
1698 夫・久通が朝鮮で病死(享年不明) 「諸氏系譜」川上氏 久通
(年度不明
〜慶長16以前)
〜1611 舅・久隅より長男・久貞を正式な家督継承者と定める旨の書状をもらう 「旧記雑録」付録2−1325
「諸氏系譜」川上氏 久貞
慶安元
6月3日
1648 次男・伊集院忠助死去(享年53歳) 「諸氏系譜」伊集院氏 忠助(伊集院伊予守忠安一流系図)

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