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伊東尹祐女(新納忠勝室)

生没年未詳

<略歴>
日向の戦国大名・伊東尹祐の次女で島津家の有力分家で大隅に勢力を持っていた新納家の当主・忠勝に嫁いで2男を儲けた。
夫・新納忠勝は中国地方の戦国大名・大内義隆や豊後の戦国大名・大友氏とも独自の交流を持っていた有力者であったが、天文4年(1535年)、薩州家・島津実久と組んだ北郷家・豊州家と対立、そのため豊州家・島津忠朝によって居城の志布志を攻められ、妻の実家のある飫肥に一族落ち延びた。そのため、新納家の主流は没落する。
一家は離散したようで、伊東尹祐女がどこでいつ死んだのかは明らかではない。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・伊東尹祐 母・阿蘇惟乗女 「諸氏系譜」新納氏 忠勝、忠茂
伊東氏大系図
永正7 1510 新納忠勝の長男・忠茂を産む 「諸氏系譜」新納氏 忠茂
(年度不明) 新納忠勝の次男・忠常を産む 「諸氏系譜」新納氏 忠常
天文7
3月26日
1538 夫・忠勝が豊州家・島津忠朝に降伏
夫・忠勝や長男・忠茂らと共に志布志を去り海路にて佐土原に移る
その後、夫と次男・忠常は飫肥に移る
「諸氏系譜」新納氏 忠勝、忠茂
天文7
11月13日
長男・忠茂、落髪し、薩摩鹿児島郡小野に移る 「諸氏系譜」新納氏 忠茂
天文10
9月3日
1541 次男・忠常、日向山東で戦死(享年未詳) 「諸氏系譜」新納氏 忠常
天文18
2月8日
1549 夫・忠勝、飫肥で死去(享年59歳) 「諸氏系譜」新納氏 忠勝
永禄4
11月20日
1561 長男・忠茂、大隅日当山で死去(享年52歳) 「諸氏系譜」新納氏 忠茂

新納忠勝には4人の男子がいるが、三男、四男は母親が明記されていないため判断を避けた。

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