入来院重聡女(島津貴久後室・雪窓夫人)


?〜天文13(1544)年8月15日<享年不明>

<略歴>
島津氏と長年に渡って対立していた渋谷一族の一つ・入来院氏の娘で、当時勢力拡大盛んだった島津忠良の長男・貴久の妻となった。彼女と貴久の婚姻は島津忠良が強く要望した物だという(「本藩人物志」入来院重聡)。貴久との間に、義久・義弘(忠平)、歳久の3人の子を産むが天文13年に早世した。彼女の生存中は入来院氏が島津氏側に付いたために薩摩国の情勢は安定し、島津氏の勢力拡大に貢献したことは言うまでもないが、一番の貢献は島津氏の最盛期を築いた義久ら3兄弟を産んだことではなかろうか。
彼女の息子である島津義久は、彼女の三十回忌に同母兄弟である義弘・歳久と連名で彼女の菩提寺である雪窓院を伊集院に作り、豊臣秀吉に降伏する際には島津家縁の寺があまたある中、わざわざこの雪窓院で出家している。ここから、義久は彼女に対して特別の敬慕の情を持っていたことがうかがわれる。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・入来院重聡、母・白浜重香女 「島津氏正統系図」貴久
「御家譜」十六代義久
「本藩人物志」白浜重政
(年度不明) 島津忠良の長男・島津貴久と結婚 「島津氏正統系図」貴久
天文2
2月7日
1533 長男・島津義久を伊作城で出産 「島津氏正統系図」義久、その他頻出
天文2
2月9日
「御家譜」十六代義久
天文4
7月23日
1535 次男・島津義弘を伊作城で出産 「島津氏正統系図」義弘、その他頻出
天文6
7月
1537 三男・島津歳久出産 「島津氏正統系図」歳久
「旧記雑録」諸氏系図3 歳久
天文6
7月10日
三男・島津歳久を伊作城で出産 「本藩人物志」島津歳久
天文13
8月15日
1544 死去 法号「雪窓妙安大姉」 「御家譜」十五代貴久、十六代義久

<墓所>
雪窓院跡(鹿児島県伊集院町)
福昌寺跡(鹿児島県鹿児島市)

「本藩人物志」白浜重政項によると「大中公(=島津貴久)御前様ハ重政従弟女故(入来院重聡息女ナリ母ハ重政祖父加賀守重香女)」とある。白浜氏は東郷氏の分家のひとつで東郷右重の次男・重貫の子孫。
 <略系図>
 東郷右重−重貫−重元−重久−重香−周防守某┬重陣−重計−重住−(以下略)
                                └重政−重治┬重綱
                                        └重将−(以下「渋谷氏」に改姓)

ちなみに白浜重政は島津貴久室の遠縁に当たると言うことで、この系統は以後島津本宗家(伊作流)に重用された。


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