稲留丹後守女(川上翌久室)
生没年未詳
<略歴>
稲留丹後守なる武将の娘。川上忠塞の四男・翌久に嫁ぎ3男1女を産んだ。
稲留氏は肥後球磨の戦国大名・相良氏の分家。島津氏に仕えた「稲留丹後守」は永禄頃の武将である稲留長常とその息子である稲留長秀がいるが、年代の点から見て川上翌久室の父は稲留長常か。稲留長常は島津忠良の命により島津尚久の家老を勤めた。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
天文22 | 1553 | 長男・範久を出産 | 「諸氏系譜」川上氏 範久 | |
(年度不明) | 長女(仁禮佐渡守室)出産 | 「諸氏系譜」川上氏 翌久女子 | ||
(年度不明) | 次男・宮内少輔(肥後宮内少輔養子)出産 | 「諸氏系譜」川上氏 宮内少輔 | ||
(年度不明) | 三男・直久を出産 | 「諸氏系譜」川上氏 直久 | ||
天正6 | 1578 | 日向国石城で長男・範久戦死(享年26歳) | 「諸氏系譜」川上氏 範久 | |
寛永11 3月14日 |
1636 | 三男・直久病死(享年不明) | 「諸氏系譜」川上氏 直久 |