原由直室

生没年未詳

<略歴>
町田忠栄の家臣・原勘解由左衛門由直の妻。彼女は伊作(現鹿児島県吹上町)にある多宝寺の住職の親戚で、伊作多宝寺を訪問したところ、島津勝久の後継争いの渦中に巻き込まれ家のある石谷に帰還できなくなったという。これを聞いた貴久が彼女を呼びだし、町田忠栄と島津貴久の間の連絡役を務めたとされる。ちなみにこの後、夫の原由直は伊集院の土筆菜(伊集院清藤村)なる場所で貴久から忠栄宛の密書を運んでいる最中に殺されたという。(「町田氏正統系図」忠栄)


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明、天文5頃) 1536? 島津貴久の密書を町田忠栄に渡す 「町田氏正統系図」梅久「町田旧記」「焦余遺書」
「町田氏正統系図」忠栄

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