浜田経重女(押川公近室)

生没年未詳

<略歴>
慶長頃の女性。夫・押川公近は平田増宗の暗殺に関わった。この時山賊が襲ったかのようにして暗殺したが、現場に落とした”勝伏(かつふし)”に押川公近の名前があったために犯行がばれ、増宗の従者に追われた。公近は加治木の私宅に逃げ帰り納戸に夜着を着て隠れていたところ、増宗の従者が加治木まで追いかけてきた。その時、公近の妻が増宗の従者を応対し「公近は姉の病により菱刈に行ってここにはいない」と突っぱね、夫を救ったという。
父・浜田経重(大永7年〜慶長16年2/20<享年78歳>)は出家して栄臨と名乗る。村田経定の配下として活躍したが、島津義久とのつながりが強かったらしく、慶長16年に義久が亡くなった後を追って殉死した。忍者であったという(「本藩人物志」)
夫・押川公近(元亀2〜寛永6年4月29日<享年59歳>)は父親の代から島津義弘に使えていた武将で、朝鮮出兵、関ヶ原の合戦にも供奉。鉄砲の達人であったという(「本藩人物志」押川讃岐守)。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
慶長15
6月
1610 夫・押川公近を平田増宗配下の追っ手から匿う 「本藩人物志」女子伝 浜田氏女

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