阿多久鎮女(川上久朗室)

生没年未詳

<略歴>
阿多大炊助久鎮の娘で、島津義久の信頼厚い家老であった川上久朗の妻となり1女1男?を産んだ。
夫・久朗が島津忠平(後の島津義弘)を救うために非業の戦死を遂げたことから、長男・久辰は島津義久に毎年正月に諸臣の中で1人賞されるなど優遇されたという(「諸氏系譜」川上氏久辰)
阿多氏には島津氏分家を称する一族と畠山氏の系列の一族がいるが、彼女の実家は出所が判然としない。父・阿多久鎮は島津貴久の命で島津歳久の家臣となった(「諸氏系譜」阿多氏 久鎮)。


<年譜>
年度
(日本歴)
年度
(西暦)
年齢 出来事 出典
(年度不明) 誕生 父・阿多久鎮 母・伊集院忠倉女 「諸氏系譜」阿多氏 久鎮次女
(年度不明) 長女(樺山忠助室)を出産 「諸氏系譜」川上氏 久朗長女
永禄2 1559 長男・久辰を出産 「諸氏系譜」川上氏 久辰
永禄11
2月3日
1568 夫・久朗が球磨菱刈の戦いで負った傷が原因となって死去(享年33歳) 「諸氏系譜」川上氏 久朗
久朗の享年は32歳説もあり 「本藩人物志」川上久朗

系図には久朗の子供として樺山忠助室、久辰、久侶の3人が伝わっているが、久侶については母親の記述がないばかりか「久朗六男」とする記述もあるため(「諸氏系譜」川上氏久辰)、母が阿多久鎮女かどうかは判断を保留する。

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