有馬純盛女(川上忠兄後室)
生没年未詳
<略歴>
有馬丹波守純盛の娘で、川上忠兄の後妻となったと思われる。忠兄との間に三男を産んだ。そのうち1人は北郷忠直付きの家臣、もう1人は島津忠紀付きの家臣になるように島津家久に命じられた。忠兄父・川上忠智が島津義弘家老だったことから義弘息子・島津家久とのつながりも非常に強かったものと推測される。
父・有馬純盛は通字から見て肥前国(現・長崎県)の戦国大名だった有馬氏の一族と思われるが詳細不明。兄弟に当たる有馬重純(?〜元和4閏3月12日)は朝鮮出兵、琉球出兵などで島津家久(忠恒)付きの家臣として活躍し、亡くなったときには家久から弔歌をもらうほどの勲功をたてた(「本藩人物志」有馬重純)。
年度 (日本歴) |
年度 (西暦) |
年齢 | 出来事 | 出典 |
慶長11 | 1606 | 忠兄次男・忠盈を出産 | 「諸氏系譜」川上氏 忠盈 | |
慶長15 10月20日 |
1610 | 忠兄三男・久包を出産 | 「諸氏系譜」川上氏 久包 | |
元和2 | 1616 | 忠兄四男・久武を出産 | 「諸氏系譜」川上氏 久武 |